2016年1月16日土曜日

当時の状況

1994年、ホビージャパンが雑誌「RPGマガジン」で紹介し、初の公式大会を開催したトレーディングカードゲーム『マジック・ザ・ギャザリング』(以下「マジック」と表記します※)の日本での黎明期、まだインターネットの一般利用は解禁されておらず、情報収集のための最も有効な手段が草の根BBSという時代でした。

ニフティーサーブのゲーム板「FGAME」では(後に専用会議室が設置されて一波乱あるのですが)ボードゲーム用の5番会議室でマジックに関する交流も進められていました。

他に類を見ない、一部では危険視されるほどの中毒性を内包するマジック。プレイヤー(大多数が社会人で学生は一握りでした)の最大の悩みは、プレイ場所の確保でした。プレイ卓を設ける店も無く、ファーストフード店が乱用された結果、一部ではカードゲーム禁止が公示されるなどの混迷ぶり。お金を浪費する悪いイメージに加え、はっきりと世間に迷惑をかける行為は、大好きなゲームの行く末のため、いやさ自分のために、看過できなくなっていました。

自宅の1階で家族が経営していた飲食店の閉店時、友人を招いてのゲーム会を開いていたので、思い切って場所の提供を告知してみました。気の済むまでプレイしましょうと。家族を扶養する立場となった現在ではとても冒すことのできないリスクですが、まだギリギリ20代だった自分の(結果的に「最後の」ではなかったのですが・・・)青春の燃焼だったと書いてしまいましょう。

さて、いつしか「猿プレイの会」と呼ばれるようになった(SGCのSに「猿」の意味もあると、ご存知ではなかった方も多いのではないでしょうか)集会が開催されたのは1995年のGWのことでした。
そして時を同じくして大阪でもWGGの活動がスタートし、深い縁を感じさせられたことが、後々の両団体の交流へと繋がっていくのです。

お後がよろしいようで。



※当時の(今も?)一般的な略称は「MtG」でしたが、日本語版発売時のRPGマガジン編集長氏(彼もまた、FGAMEの発言者の一人でした)の意向を尊重し「マジック」とします。


2016年1月15日金曜日

本日、旗揚げから20周年を迎えました

記念会は既に先週、クローズドにて開催しましたので、1月17日の公開例会は通常運行となります。

せっかくの機会ですので、この後しばらく、SGCの歴史を振り返る投稿を続けてみたいと思います。